1年ぶり恒例の東京都大会行ってきました。
今年もあまり振るいませんでした。ガク。
型は優勝しましたが。組み手3位。
自己分析すると、準決勝は狙い手を1手に拘りすぎていたかなーと。
柔軟に多彩な技を出す事をここ数年の目標というか理想にしているのに。。
いや、右手か左手か右足か左足かという四択しかないのですけどね。うん。
どうも試合になると余り考えなくなるようで。頭使わなくなる。
普段(練習)は逆に使いすぎる。のだけれど。あは。
これどうにかならんかな。笑。
圧倒的に強い。を目指したい。防具式ルールでは何時如何なる時も負けない。
自分のスタイル?が確立してるようでしていないのが原因かな。もう少しだとは思うけどぼちぼち年齢が追いつかないぞ。と。
で、自分の話はそんなもんにしといて。
ボクのやってる千唐流について。
宗家の歴史を紐解くと、沖縄の人でしてそれなりに沖縄唐手中興の祖とか沖縄唐手大家とか呼ばれる先生方に師事されており、そこから察するにネットなんかの検索でもうちの宗家はばしばし名前出るだろうと思っていたのですが。
ところがそうでもないのですねー。
現実問題千唐流を一般的(空手をやっている人で)に知る人は少ない。
世界10数カ国をまたにかける流派なのだけどね。。
そいで、数年前からネットやら本やらを駆使して千唐流宗家の謎に迫っておるのですよ。
とりあえずは、千唐流オフィシャルページにも記載されている宗家の歴史に関わる方々を延々調べておるのですよ。
面白いですねー。そうやって調べたことを毎年語り合っておる訳ですな。東京で。
ほいで今年の結論は「現宗家(2代目)及び本部道場」に直接訊く。とか宗家高弟の教士の方々にも色々訊く。とか。灯台下暗しといいますし。実は直接関係者にはまだ何も伺ってないのですよね。
然しこれは結構最後の手段としてとっておきたいというのもあって……。
纏まらなくなってますが、ぴゅーと読み飛ばしてくださいよ。
何故こんなにも初代宗家について調べたいのか?というのも色々あってですね。
例えば型について。幸運な事に千唐流の各大会で何度か優勝させていただいてる訳ですが、千唐流の型というのは宗家が創流された時に創作されているのですね。
宗家がどの先生のどの型からインスピレーションを受けて、現在伝わる千唐流のどの型のどの部分に活かされているのか。それが分からないと飾り物の優勝でしかないな。とか思う訳ですよね。現代では競技として型を競べ合って勝敗を競うのですが、宗家が型を伝授(正に伝授。現代は伝授という感じは一切ないですよね)されてから、同じように型を伝授された他の唐手家と型を競うなんて事はなかっただろうし、型は実戦に使えるものを様式化したものだという意見もありますし。そういう色んな事象を踏まえて、「現代の型競技にその色んな事象をどう活かすのか」というような事を考えたり考えなかったり。
そもそも型を競技する事自体「?」だろうなとか思ってもみたり。
この疑問が解けないのは「わたしが千唐流宗家ではないから」の一言に尽きると思うので、結局宗家(が学んだ事)について掘り下げるしかないのですよね。
千唐流が大好き。と言い張ってもう大分経つのですが、其の実千唐流とは何ぞや?と問われると全くもって回答に苦しむ。
では何故そこまで大好きと言い張るのか?
その答えを解く鍵もまた宗家を知る事にあると思うのですよね。
実践もあれだけど、知識として欲しい訳ですよ。
実践はね、生涯的なものだと思ってるからですね。現代と当時では時間の流れが違いますからね。
うーん。今日はなんとなく長文でした。
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